無題。
『 恋に落ちた僕が君に向け書いているこんなラブソングみたいに。』
無題。
積極的に人生を歩む気力ももう尽きてきたのでログアウトするつもりでいたのだけれど、直前で躊躇ってしまった。あと一歩前に出ていればシアワセだったのに。結局まだ死ぬ勇気もないらしいのでダラダラと毎日を過ごしている。
生きたくないわけではないけれど、死にたいが先行してしまうのは最早避けられないんだなぁと思う。
私を傷付けたヒトはあんなに幸せそうなのに。
いつか見返してやるって意気込んで生きてきたけど、行きついた先は結局惨めだった。
きっと皆は私にしたことなんて忘れてる。私だけが延々と過去に囚われて馬鹿みたいだ。余計に生きていたくない。
生きている間に誰かの一番になりたかったけど、それも叶いそうにない。
私だって必要とされたかった。代わりの利く代用品としてじゃなくて。
まぁよく考えてみれば私じゃなきゃ駄目な理由なんて何処にもないし、その必要もないのでとんだ自意識過剰であり我が儘だった。
負けず嫌いで根に持つタイプの私は本当に人間に向いていないと思う。
常に誰かより優っていたかった。常に誰かに認めてほしかった。
良い子にしていれば褒められると思っていたけれど、さらに上の良い子を求められるだけだった。
もっと小さい頃から自由に生きていればなぁ。もう遅いか。
無題。
"表現が淡泊だね。"と云われることがよくある。
これは自分でも自覚していて、元々性格があっさりしている訳ではなく、どう表現してよいのかわからない部分が大きい。
誕生日に高価なモノを受け取った時、心底嬉しい筈なのに、「私なんかが受け取って良いのだろうか…私とお揃いなんて、本当にそれで良いのだろうか…」と、逆に不安になったことを覚えている。
客観的にみれば嫌ならお揃いのモノなど買おうとしないだろうし、そもそも誕生日に何かを渡さないのは容易に想像がつく。
それでも自分がいざ当事者となってみると、不安でいっぱいになり、微妙な反応しかできなくなる。
感情を体現することが苦手で、言葉にすることも苦手で、上手く気持ちを表現できずに壊れた人間関係もあったような気がする。関係がこじれ始めると自分の意見を云うことが億劫になり、早々に「もういいや」とか「面倒」とか思うので、それ以降は何も考えたくない。
そんな私をみて、ひとりだけ、
「淡泊じゃなくて諦めているだけでしょ」と云ってきたヒトがいた。
図星を突かれた気がして嫌だった。
私はいつも、何かにつけて「苦手だから、家庭の所為だから、性格だから」と言い訳をしがちだ。これは私の悪い癖で、すぐに他人の所為にしたり、どうしようもないことだと結論付けたりする。
「変わりたいけど変われない」
以前そんな相談を私にしてきたヒトがいた。
変わる努力もしていない、変わりたい理由もペラペラな、口先だけの意見に心底苛々した。
一時の感情に任せて意見を云い、散々な言葉を浴びせたけれど、何に対しても甘く、行動に移さない私に全部跳ね返ってくるだけで苦しかった。
久々に会った父親は私を見て、
「散々な目に合ったのに変わっていないってことはわからないんだよ。こいつはわかってないんだ。本当にわかっているのなら気をつけれるだろ? わかってないんだよ。もうこいつには云うだけ無駄なんだよ。幾ら説明したってわからないんだ。だって、できないんだから」
と母親に云った。
「あぁ、もう私は彼には期待されていないんだな」と思った。
言い返さない母親を見て、「彼女も私に期待していないんだな。無駄だと思っているんだな」とも思った。
親の言葉は私にとってある意味呪縛だ。
「馬鹿」とか「御前には無理だ」とか「死ね」とか、「家畜以下」とか「無駄」とか「見返りの無い投資だった」とか。
幾ら嬉しい事が積み重なってもべったりとこびり付いて忘れられない。何かの拍子にふと思い出してしまう。
その時の状況、声、表情、空気、時間、全てが蘇って私に迫る暴力になる。
「御前には友達なんていない。御前がそう思っているだけだ。御前を好きな奴なんていない。本当に御前を必要としてるヒトなんていない。たまたま近くに御前が居たから選ばれているだけだ。」
幼い頃から何度もそう云われてきた。
わかってるよ。
そんなこと、私がいちばんわかってる。
両親に期待されていない。
両親でさえ私を必要としていない。
それなら私も私自身に期待するだけ無駄だ。
「だって、できないんだから」
他人の好意を受け取ったとき、どうしても彼の言葉を思い出してしまう。
信じたいのに言葉の裏を探ってしまう。
向けられる好意全てに疑いが湧いてくる。
そんなねじれた性格を抱えたまま育ってきた。
ここまで育ってしまったのだ。もう変わらない、変えられないだろう。
でも最近は今までと違って、関わるヒトの数が圧倒的に増えた。
私に好意を寄せてくれるヒトもその分増えた。
私のことで真剣に怒ったり悩んだりしてくれるヒトができた。
とても嬉しい事だと思う。嬉しいのだけれど、そんなことは人生で初めてで戸惑いが大きい。
自分は上手に楽しさを伝えることができているのだろうか。
嬉しくても、何時も何処かで不安になる。
不安になって表情が白けてしまう。
私が楽しく過ごせる場所がある事が、私にとってはいちばんの不安になる。
それがきっと、淡泊だと云われる所以なのだろうなと思う。
此処まで文字に起こして、気付いた云いたいことは要するにそういうことで。
こうやって他人の所為にして、責任を押し付けたくなる自分にも嫌気がさす。
結局私は今日も変われないままだ。
無題。
私は誰かに頼ることが一番苦手だ。誰かに向けた"お願い"ですら躊躇してしまう。可愛くおねだりが出来ない。それ故に愛想がないと云われ続けてきた。
進路は全て母親の云うとおりにした。そうしないと母親の機嫌が悪くなるから。夢は全部諦めた。興味のあることに費やす時間なんてなかった。
父親は"勉強のできる私"が好きだった。部活や絵画のコンクールで幾ら賞を取っても興味がなさそうだった。良い点を取る事だけが彼の気を引く唯一の方法だった。
ただ、世間体に対しては二人ともが敏感だった。
これは私が育った家庭と環境故に仕方のない事だったのだと諦めている。二人がそれぞれ持つ世間一般から外れる事が許されなかった。特に父親は私を殴り、暴言を吐きながら"私"という人間を否定するような叱り方をする。
一番抉られたのは暴力ではなく、
「何回殴ってもわからないならお前よりも家畜の豚の方が頭が良いわ」
という言葉だった。
あぁ、このヒトにとって私への躾は家畜へのそれ同然だったのかな、なんて思った。
屑、死ね、と云われたこともあった。
「御前に費やしたカネは返ってくるかもわからない投資」とも云われた(これに関して云えばまぁ理解はできなくもない)。高校進学と同時にそれまで難なく熟していた勉強が全くできなくなったこともあり、成長の途中から彼の思い通りにならなくなった私は、とにかく目障りで要らないモノだったのだと思う。
そんな私でも進学校というブランドのついた高校に通っている御陰で、世間体では"親の自慢であり誇り"だった。家では「屑、馬鹿」と罵られるのに、外では"優秀な娘"だった。
私は屑なのに、外では両親の誇りで居なければならなかった。嬉しくなんてなかった。只々惨めだった。
両親に言い返したり意見したりすることは幼い頃からしなくなった。
きっかけは初めて行った沖縄への家族旅行だった。
喉が渇いた私は「あれが飲みたい。」と売店のマンゴージュースを指さした。それを聞いた母親は「もうホテルに戻るから我慢しなさい。」と云ったが、私は「えー! あれがいい!!」と駄々をこねた。結局マンゴージュースを買って貰えたのだが、その時に父親がボソッと「これだから餓鬼は。」と云ったのを私は聞き逃さなかった。
あぁ、我が儘を云えばこのヒトには嫌われるのだ、と小さいながらに感じた。
そこから父親があまり好きではなくなった。
我が儘も云わないように、本気のお願いも冗談っぽく。そんなことを続けるうちに段々と本音が云えなくなってしまった。
最近になって母親に、
「父は"勉強できる私"が好きだったよね。
"○○高校に通っている私"が好きだったよね。
何も出来なくなった私は、彼にとって自慢でも何でもなくなったよね。」と聞いた。
母親は小さく「うん。」と答えた。
「それを知ってたのなら、私がつらかったのも悲しかったのも知っていたよね? 散々な事云われてきたのも報告したよね?」と聞くと、
「知ってたよ。」と云われた。
でもそれだけだった。知った上で、見てない振りをされていた。
それ以来、誰かに期待をすることが馬鹿らしくなった。
母はある日、
「でもお母さんはきちんと"母親"をやってきたよね?」と聞いてきた。
母親は"こう在るべきだ"なんていう指標がある役割なのだろうか。子どもにとっての"良い母親"と、世間からみた"良い母親"は相容れないことが多いと思う。
母は「あなたは間違っていなかった」と云われたいのだろうなと思った。私は私の意見ではなく、周囲の大人が発した母に対する評価を母親に話した。
それを聞いた彼女は満足そうだった。
「失ってからじゃ遅い。」とよく聞くけれど、
ほとんどの事は失ってからじゃないと気付けない。他人に頼る事は、そのヒトを信頼していないと出来ないらしい。誰かを愛する方法は、誰かに愛されないとわからないらしい。
今までに募った不信感はきっと消えないし消すつもりもないけれど、
感謝をしていない訳ではない。